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こんにちは、北山別院です。

ようこそ、当ホームページにお越しいただきました。

まずは、北山別院というお寺のご紹介をいたします。

この北山別院は、もともとは、養源庵という名称で、天台宗のお寺でした。

門信徒のみなさまのお力によって、延宝6(1678)年に本願寺のお寺となり、北山養源寺という名称になりました。
同8年には本山本願寺の別院となり、天和3(1683)年には木仏御本尊と親鸞聖人・蓮如上人の絵像を安置して、本願寺の寺院としての体裁が整えられました。
境内面積は1250坪、本堂は梁三間半、桁行三間の大きさでした。

ところが享保17(1732)年、本願寺山科別院を興隆させるための支援として、北山養源寺の本堂を本願寺山科別院の境内地に移し、北山養源寺には小さな庵を残すのみとなりました。

その後、明和2(1765)年に、本願寺第17代法如宗主によって再興がはかられ、やがて元の北山養源寺に勝る本堂を始めとする寺院建築が完成したのですが、その8年後の安永2(1773)年に、その本堂が類焼してしまい、ただちに仮の仏殿を設営しました。
そして、本堂の再建が成し遂げられたのは文政5(1822)年のときでした。そのとき本願寺第19第本如宗主は、広くお念仏のみ教えを慶ぶ集いの「講」に対して、さらにお念仏のみ教えが振興するようにご消息を発布されました。
安政年間には、本願寺第20代広如宗主のころに、岡崎願成寺から庫裏、鐘楼等の移建が始まがりました、幕末の動乱の中にありましたので、境内地の寺院建築全体が完成整備されたのは、明治4年でした。
さらに、大阪「お花講」を中心とした有縁の方々の尊いおこころざしにより、大正9年、新らたに八間四面の本堂が再建立されました。
こうして永い年月にわたる、時代の変遷の中に、しっかりと護られてきた当北山別院ですが、昭和53年7月の本願寺第24代即如門主ご巡拝を機に、復興整備の気運が高まり、昭和55年に現本堂を新築し、平成10年には本堂内陣の改装、境内地整備等がなされ、今日に至っております。

【晨朝(朝のおつとめ)のご案内】
毎朝7時より、朝のおつとめに近くの方々、
門信徒の皆様にご参拝くださいますようご案内いたします。
*初めてご参拝の方、貸出本の聖典をご準備させていただいております。お念珠・式章をご持参下さい。